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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)633号 判決

原告 見山敏雄 ほか一名

被告 国 ほか二名

訴訟代理人 横山茂晴 押切瞳 小林政夫 ほか四名

主文

一  被告国及び被告銚子市は、各自、原告見山敏雄に対し、金四八四万八、〇〇〇円、原告見山晴代に対し、金四五四万八、〇〇〇円及びこのうち、原告見山敏雄につき金四四九万八、〇〇〇円、原告見山晴代につき金四一九万八、〇〇〇円に対する昭和四五年二月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告国及び被告銚子市に対するその余の請求及び被告千葉県に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告らと被告国及び被告銚子市の間においてはこれを三分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告国及び被告銚子市の負担とし、原告らと被告千葉県の間においては、全部原告らの負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告見山敏雄に対し、金七三四万八、〇〇〇円、原告見山晴代に対し、金七〇四万八、〇〇〇円及び右各金員に対する昭和四五年二月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行宣言を付される場合には、担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (本件死亡事故の発生)

原告らの次男である訴外亡見山進(昭和四三年一一月五日生、以下訴外進という)は、昭和四五年二月三日午後二時ころ、銚子市勤労会館において、訴外安藤孝太郎医師(以下安藤医師という)から、百日核・ジフテリァ・破傷風の三種混合ワクチンの予防接種(実施者銚子市長。以下本件予防接種という)を受けたが、翌四日午前九時三〇分ころ、発熱、ひきつけを起こし、脳症状を呈して、同日午後八時五〇分ころ死亡した。

2  (因果関係)

訴外進の死亡は本件予防接種に起因する。すなわち、訴外進は、予防接種に過敏に反応するいわゆるけいれん性体質であつた(昭和四四年五月と一一月の二回発熱時におけるひきつけ症状を起している)ため、本件予防接種を受けたことにより、その当日までの健康状態は至つて良好であつたにもかかわらず、統計上も発生率が最も高い接種後二四時間以内に前記百日咳ワクチンによる副反応症状を呈して死亡するに至つたものである。(現に右進の死亡事故は予防接種事故審査会を経て本件予防接種に因る疑いがあると認定されている。)

3  (被告国の責任)

(一)(1) 本件予防接種は、予防接種法に基づき、被告国の機関委任事務として銚子市長が実施したもので、安藤医師は、同市長の委託を受け、これを行なつた。したがつて、安藤医師及び銚子市長は、被告国の公権力の行使に当る公務員として本件予防接種の実施に当つたものである。

(2) 安藤医師は、予防接種を担当する医師として、あらかじめ被接種者に対し問診、視診、聴打診等を行なつてその健康状態を調べ、被接種者が当該予防接種を受けるに適しない体質もしくは症状でないことを確認したうえ予防接種を実施すべき注意義務があるにも拘らず、訴外進に本件予防接種をなす際、右注意義務を怠り、保護者(訴外進の祖母である訴外重田とめ)に対し、前夜の入浴の有無を問うたのみで、他に特段の問診等もなさず、訴外進が予防接種実施規則第四条で禁忌者とされているけいれん性体質者であることを確認しないまま、本件予防接種を行なつた。

(3) 銚子市長は、予防接種担当医師を指揮監督し、かつ会場の衛生を保持して混雑を避けるに足りる設備と人員を配置し、もつて被接種者に対する十分な予診がなされるよう配慮すべき注意義務があるにも拘らず、これを怠り、安藤医師に対して特段の指揮監督もしないまま、木造の非衛生的な建物に僅かに医師一名と若干の看護婦及び事務職員を配したのみで、午後一時から四時半頃までの短時間内に、三四六名にのぼる被接種者に対し、本件予防接種を実施させ、会場に掲示物として禁忌事項を告知したとしても、右のような会場の雰囲気から推して保護者らが注意深く判読することは困難な状態に置いたため、安藤医師をして訴外進のけいれん性体質を看過するに至らせた。

(4) したがつて、被告国は、国家賠償法第一条第一項に基づく責任を負うべきものである。

(二)(1) 厚生大臣は、被告国の公衆衛生に関する事務を行なう最高責任者として、予防接種による傷害、死亡事故を回避するため、イ被害防止のための調査を行なう、ロ安全なワクチンの開発、改良に努める、ハ不必要または危険な予防接種を避ける、二予診、問診を行なうことを徹底させる等の諸措置を講じ、もつて適切な予防接種制度を確立すべき注意義務がある。

(2) ところが厚生大臣は、何ら前記諸措置を講じようとはせず、不完全な制度のもとで、漫然と本件予防接種を含む予防接種制度を実施してきたもので、厚生大臣には前記注意義務を怠つた過失がある。

(3) したがつて、被告国は、国家賠償法第一条第一項に基づく責任を負うべきものである。

(三) 仮に安藤医師、銚子市長及び厚生大臣に何ら過失が認められないとしても、本件予防接種のごとき予防接種法に基づくいわゆる強制接種については、被告国が、公権力の行使としてその優越的立場から、その接種時期及びワクチン量を一方的に決定したうえ、その性質上、危険な副反応を伴うことが避け難いにも拘らず、社会全体を伝染病から防衛するためこれを受けることを罰則をもつて国民に強制しているのであるから、このような予防接種によつて傷害や死亡事故が発生した場合、被告国は、憲法第一三条、第二五条の精神もしくは責任分配の法理ないしは危険責任主義の法理に基づき、予防接種に関与した公務員の過失の有無、原因の如何を問わず、犠牲者・被害者に対しその損害を賠償すべき義務があるものというべきである。

4  (被告千葉県の責任)

(一) 被告千葉県の公務員である銚子保健所長は、予防接種法第五条に基づき、本件予防接種の実施にあたり銚子市長に対し適切な指示をなすべき注意義務があるにも拘らず、これを怠り、十分な指示・監督をしなかつたため、本件死亡事故を惹起せしめた。

(二) 被告千葉県は銚子保健所長の給与を負担している。

(三) したがつて、被告千葉県は、国家賠償法第一条第一項または第三条第一項に基づき、原告らの後記損害を賠償する義務がある。

5  (被告銚子市の責任)

(一) 本件予防接種の実施にあたり、銚子市の公務員でもあつた銚子市長及び安藤医師には、前記3(一)の(2)及び(3)で述べた過失があつた。

(二) 被告銚子市は本件予防接種の費用を負担した。

(三) したがつて、被告銚子市は、国家賠償法第一条第一項または第三条第一項に基づき、原告らの後記損害を賠償する義務がある。

6  (損害)

(一) 逸失利益

訴外進は死亡当時一歳二か月であつたが、一八歳から六三歳までの四五年間は就労が可能であつた。昭和四五年度賃金センサスによると、全企業の男子平均賃金は年額合計金一〇二万六、九〇〇円であるから、生活費を半額とみたうえ、ホフマン式計算法により中間利息を控除して、右期間の得べかりし利益の現価を算定すると、金八〇九万六、〇〇〇円となる。

(二) 原告らは、相続により右金員の二分の一に相当する金四〇四万八、〇〇〇円の損害賠償請求権を、それぞれ承継取得した。

(三) 原告見山敏雄は、訴外進の葬儀及び墓碑建立の費用として金五〇万円を支出したが、このうち金三〇万円の支払を求める。

(四) 訴外進の死亡による原告らの精神的苦痛の慰謝料額は、各自金二五〇万円を下らない。

(五) 原告らは、原告ら訴訟代理人弁護士に対し、弁護士費用として各自金五〇万円を下らない金額を支払うことを約した。

7  (結論)

よつて、被告らに対し、原告見山敏雄は各自損害金七三四万八、〇〇〇円、原告見山晴代は各自損害金七〇四万八、〇〇〇円及び右各金員に対する訴外進死亡の日である昭和四五年二月四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1のうち、原告らの次男である訴外進が原告主張の本件予防接種を受けたこと及び原告主張の日時に死亡したことは認めるが、その余は不知。

2  同2のうち、訴外進がけいれん性体質であつたことは不知。その余は否認する。

訴外進は、本件予防接種を受ける一〇日ほど前に流行性感冒に罹患しており、右流行性感冒により発熱、ひきつけを起こし、死亡した可能性が高い。現に、訴外進を死亡直前に診察した訴外石上小平医師は、訴外進の死因を「流感による脳炎」と診断している。

なお、仮に訴外進がけいれん性体質であつたとしても、一般的にけいれん性体質と三種混合ワクチンの副反応との間の因果関係は明らかでなく、必ずしもけいれん性体質者が予防接種に過敏に反応するものということはできない。なお予防接種事故審査会の認定は、広く救済を受けられるようにとの趣旨から、本件においても、予防接種後二四時間内の発病で、その発熱、けいれん症状が予防接種後の脳症の場合と矛盾しないと認められたので、脊髄液の検査、脳の浮腫の検査などがなされていないため学問的には脳炎か脳症かの判断ができないにも拘らず、救済の対象とされたものである。

3  (被告国)

(一) 同3の(一)のうち、(1)は認める。(2)のうち、予防接種を行なう医師に原告ら主張の注意義務があることは認めるが、その余は否認する。(3)、(4)は争う。

安藤医師は、訴外進を視診したうえ保護者に訴外進の健康状態を問診したところ、異常はない旨の回答を得たので、訴外進に本件予防接種を行なつた。しかして、本件予防接種においては、銚子市の広報「ちようし」において、日時、場所、対象者のほか、「注射できない人」として「熱のある人または風邪にかかつている人、心臓病や腎臓病の人、胸腺リンパ体質者、けいれん性体質者」を記載してこれらの者が接種を受けることのないよう注意を喚起し、接種会場においても、「熱のある人、又は風邪にかかつている人」「アレルギー又はけいれん性体質の人」「そのほか、からだの調子の悪い人、又はその他の病気で医師にかかつている人」は係に申し出るよう記載した「お願い」と題する掲示を、受付係及び医師の席付近の見易い位置に張出したうえ、係の職員も右該当者は申し出るよう呼びかけていたもので、このような補助的手段を講じたうえ安藤医師が前記問診を行ない、進を同道した同人の祖母から異常がない旨の申出を受け進が接種不適格な体質であるおそれがあることを知り得なかつた以上、安藤医師は、予防接種担当医師としての予診義務を尽したものというべく、原告ら主張の過失はなく、右を知り得なかつたことについても過失のないことは明らかである。

(二) 同3の(二)は争う。

(三) 同3の(三)のうち、強制接種が罰則によつて国民に強制されていることは認めるが、その余は争う。

4  (被告千葉県)

(一) 同4の(一)のうち、銚子保健所長が被告千葉県の公務員であること、同保健所長は、予防接種法第五条に基づき銚子市長に対し指示をなすべき地位にあることは認めるが、その余は否認する。なお右主張自体、同保健所長の注意義務の具体的内容及びこれと進の死亡との関連について明らかにされていない。

(二) 同4の(二)は認める。

(三) 同4の(三)は争う。

予防接種法第五条に基づく保健所長の指示は、国の機関としての立場で、市町村長に対して行なうものであるから、右指示につき国家賠償法第一条第一項により千葉県が損害賠償責任を負う根拠はない。

5  (被告銚子市)

(一) 同5の(一)のうち、銚子市長及び安藤医師が被告銚子市の公務員であることは認めるが、本件予防接種については、後記(三)のとおり、国の公務員として実施し、接種行為を行なつたものである。その余の事実は否認する。

(二) 同5の(二)は認める。

(三) 同5の(三)は争う。

本件予防接種は国の機関委任事務として銚子市長が実施したのであるから、被告銚子市が国家賠償法第一条第一項による損害賠償責任を負う根拠はない。

6  同6の事実は争う。

三  抗弁(仮定抗弁)

仮に、被告らに本件死亡事故による損害を賠償すべき責任があるとしても、

1  (過失相殺)

本件予防接種においては、会場内の掲示により、禁忌者は申出るよう呼びかけていたのであるから、訴外進に付添つて来た保護者(祖母)訴外重田とめは、右掲示を読んだうえ訴外進がけいれん性体質者であることを申出るべきであつた。従つて、これを怠つた同人の過失は、損害賠償額の算定にあたつて斟酌さるべきである。

2  (弔慰金の支払)

本件死亡事故については、訴外千葉県市町村総合事務組合より原告らに対し、弔慰金として、昭和四五年九月二八日付厚生省発衛第一四五号各都道府県知事宛厚生省事務次官通知「予防接種事故に対する行政救済措置」に基づき、昭和四七年八月二一日に金二七〇万円、昭和五二年六月二七日付厚生省発衛第一五一号各都道府県知事宛厚生省事務次官通知「昭和五二年二月二四日以前に死亡した者に対する再弔慰金の支給について」に基づき、同年一一月一四日に金二〇〇万円がそれぞれ支払われているところ、右訴外組合からの支払は、被告銚子市が支払つたと同一の効果を生ずる。従つて、右合計金四七〇万円は、損害額より控除さるべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は否認する。

2  抗弁2のうち、被告ら主張のとおり、訴外組合から原告らに対し弔慰金が支払われたこと、右支払は被告銚子市が支払つたと同一の効果を生ずるものであることは認めるが、その金額は損害額より控除さるべきことは争う。

第三証拠〈省略〉

理由

一  原告らの次男である訴外進が、昭和四五年二月三日午後二時ころ、銚子市勤労会館において、安藤医師から、百日咳・ジフテリア・破傷風の三種混合ワクチンの予防接種を受けたこと、訴外進が、同月四日午後八時五〇分ころ死亡したことは当事者間に争いがない。

二  本件予防接種と訴外進の死亡との間の因果関係について

1  〈証拠省略〉を総合すると、訴外進は、昭和四三年一一月五日に生まれたところ、翌昭和四四年五月と同年一一月に発熱した際それぞれひきつけを起こしたことがあり、いわゆるけいれん性体質者とみられるほかは、体に異常はなく、健康な男児であつたこと、訴外進は、本件予防接種を受ける一〇日ほど前に軽い風邪に罹患し、かかりつけの訴外石上小平医師(以下石上医師という。)の診療を受けたが、これは二、三日でほぼ全快し、本件予防接種を受ける前はきわめて元気であつたこと、ところが本件予防接種を受けた翌日である昭和四五年二月四日午前五時ころ、摂氏三八度近い発熱が認められ、同一〇時ころ、けいれんを起こしたので、救急車で右石上医師の経営する医院に運ばれたところ、その時には摂氏四〇度に発熱して意識はなく、全身の強直性けいれん、眼球上向(眼球が返つて白眼が現われる状態)、脈拍細少の症状を呈していたこと、石上医師は、流行性感冒による発熱とこれに伴う熱性けいれんと判断し、解熱剤及びけいれん抑制剤の注射を行なつたが、訴外進は、依然として断続的にけいれんを起こし、同日午後三時ころ呼吸困難の様子を見せたうえ、同四時ころ嘔吐して黄色の軟便を排泄し(この間、石上医師は強心剤の注射等を行なつたが)、結局、意識を回復することなく、けいれんを繰り返しながら、同八時五〇分ころ死亡するに至つたこと、石上医師は、訴外進の死因を流行性感冒による脳炎と判断し、その旨の死亡診断書を作成したこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

2  しかして、けいれん性体質者は予防接種実施規則(昭和三三年厚生省令第二七号。昭和四五年厚生省令第四四号による改正前のもの。以下、実施規則という。)第四条所定の禁忌者に該当するところ、〈証拠省略〉を総合すると、三種混合ワクチン中の百日咳ワクチンは他のワクチンと製法を異にし、毒性が強く、三種混合ワクチンの副反応はほとんど百日咳ワクチンによるものとみてよいこと、百日咳ワクチンの副反応としては、発熱、下痢、嘔吐、稀にはシヨツク症状等があり、けいれん性体質者の場合には強い発熱やけいれんを誘発するおそれがあること、さらにわが国では症例の報告はないが、外国では稀にけいれん、意識障害を伴う重篤な脳症状を伴うことが報告されていること、脳症は、外部からの刺激に対する脳の特殊な反応によつて起こり、急激な発熱、けいれん、意識障害、麻痺等の症状をきたし、時には死亡することもあること、これらの副反応は、ワクチン接種後遅くとも四八時間以内に発現するものが多いことが統計上確認されていること、以上の事実が認められ、これらの事実に前記1で認定した諸事実を併せ考えると、訴外進の死亡前の症状は三種混合ワクチン中の百日咳ワクチンの副反応とされる諸症状とほぼ一致すること、右症状の発現及び亢進がきわめて急激で、しかも本件予防接種と接着した時間内に起こつていること、訴外進は、百日咳ワクチンの接種により異常な副反応を起こすおそれのあるけいれん性体質者であつたこと等を総合すれば、訴外進は、けいれん性体質者であつたのに、本件予防接種を受けたため、その副反応により強い発熱とけいれんを起こし、さらに重篤な脳症を惹起して死亡するに至つたものであることを推認することができ、本件予防接種と訴外進の死亡との間には因果関係があるものと認められる。

3  もつとも、被告らは、訴外進の死因が流行性感冒による脳炎である可能性が強い旨主張し、石上医師もこれにそう診断をなしたことは前記認定のとおりであるところ、〈証拠省略〉によると、本件予防接種実施の前後である昭和四五年一月下旬から二月上旬にかけて、千葉県下の児童の間で流行性感冒がかなり蔓延していたことがうかがわれ、また〈証拠省略〉によると、脳炎は、脳症と異なりビールスの作用によつて起こるものであるところ、両者は症状が類似しているので、解剖検査によらない限り、その判別は困難であることがうかがわれるが、訴外進には、本件予防接種を受けた当時、流行性感冒を思わせるような徴候はなく、一〇日ほど前に罹患した軽い風邪もすでにほぼ全快していたことは、すでに認定したとおりであるうえ、〈証拠省略〉によると、脳炎の原因となるビールスには諸種のものがあるが、流行性感冒のビールスによる脳炎はきわめて稀で、厚生省の予防接種事故審査会の委員である同人〔編注:証人木村三生夫〕は、石上医師の前記診断を、病名としてやや資料不足に感じたとしており〈証拠省略〉もこれとほぼ同一であることが認められるので、これらの諸事情を、先に認定した訴外進の症状の経過に照らして考えると、訴外進が、本件予防接種を受けた前後のころ、たまたま流行性感冒に罹患し、これに起因する脳炎によつて死亡したものとは考えにくく、被告らの主張にそう〈証拠省略〉は直ちに採用できない。

なお、〈証拠省略〉には、けいれん性体質者の場合、百日咳ワクチンの副反応により、けいれん、発熱を誘発されるとしても、脳症を起こすとは限らないとしている部分もないではないが、その前後の供述及び〈証拠省略〉を併せ検討すると、右の部分は、けいれん性体質者が百日咳ワクチンの副反応により脳症を起こしやすいという明確な資料がないことから、医学上なお、全く異論がないわけではない趣旨を述べたものと解されるのであるから、右のような見解が存在するとしても、これによつて前掲証拠を総合した前記認定を覆すものということはできない。

他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

三  被告国の責任について

1  本件予防接種は、予防接種法に基づき、被告国の機関委任事務として銚子市長が実施したもので、担当医師である安藤医師は、同市長の委託を受け、被告国の公権力の行使に当る公務員として本件予防接種を行なつたことは当事者間に争いがない。

2  そこで、安藤医師の過失について判断する。

すでにみたとおり、三種混合ワクチンの予防接種は、被接種者の体質、健康状態等により危険な副反応を起こすことがあり得るから、これを実施する医師は、接種前に、接種対象者につき、体温測定、問診、視診、聴打診等の方法によつて、健康状態を調べ、禁忌者を識別すべき注意義務があるものと言うべきところ(実施規則第四条)、訴外進のごとき幼児のけいれん性体質者については、保護者に対する問診によるほか、これを識別しうる手段はないから、以下、右医師の問診義務について検討する。

いうまでもなく、問診は、医学的な専門知識を欠く一般人に対してされるもので、質問の趣旨が正解されなかつたり、的確な応答がされなかつたり、素人的な誤つた判断が介入して不充分な対応がされたりする危険性をもつているものであるから、予防接種を実施する医師としては、問診するにあたつて、接種対象者又はその保護者に対し、単に概括的、抽象的に接種対象者の接種直前における身体の健康状態についてその異常の有無を質問するだけでは足りず、禁忌者を識別するに足りるだけの具体的質問、すなわち実施規則第四条所定の症状、疾病、体質的素因の有無およびそれらを外部的に徴表する諸事由の有無を具体的に、かつ被質問者に的確な応答を可能ならしめるような適切な質問をする義務がある。

もつとも集団接種の場合には時間的、経済的制約があるから、その質問の方法は、すべて医師の口頭質問による必要はなく、いわゆる問診票による方法や、質問事項又は接種前に医師に申述すべき事項を予防接種実施場所に掲記公示し、接種対象者又はその保護者に積極的に応答、申述させる方法や、医師を補助する看護婦等に質問を事前に代行させる方法等を併用し、医師の口頭による質問を事前に補助せしめる手段を講じることも許されるので、医師の口頭による問診の適否は、質問内容、表現、用語及び併用された補助方法の手段の種類、内容、表現、用語を総合考慮して判断さるべきである(最高裁昭和五〇年(オ)第一四〇号同五一年九月三〇日第一小法廷判決・民集三〇巻八号八一六頁参照)。

3  以上の観点から、本件における問診の適否を検討する。〈証拠省略〉を総合すると、安藤医師は、接種前に、接種対象者である幼児を視診し、その腕をとつて体温を確かめて、異常の疑のあるのを認めた者については、保護者に対し「体に異常はないか。」「今、病気していないか。」等と尋ね、また補助者である看護婦に検温させていたが、異常を認めなかつた者については、概して、特段の問診もしないまま接種を実施していたもので、訴外進についても視診、触診程度は行なつていたとしても、その保護者(訴外進の祖母である重田とめ)に対して特に質問はしていないこと、その他問診票や看護婦等に質問を事前に代行させる方法は取つていなかつたことが認められる。〈証拠省略〉中、右認定に反する部分は、〈証拠省略〉に照らしてたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

しかして、〈証拠省略〉を総合すると、本件接種会場に当てられた銚子市勤労会館二階ホール(面積約三六坪)には、受付係の席、医師席が設けられ、右各席の背後(約一メートル後方)には、それぞれ、「つぎのような方は予防接種を受ける前係にお知らせ下さい。熱のある人又は風邪にかかつている人、心臓病、高血圧又は血管に病気のある人……アレルギー又はけいれん性体質の人、……」と禁忌者を記載し、該当者は申出るよう呼びかけた「お願い」と題する、縦九〇センチメートル、横一二〇センチメートルの掲示が張出され、受付係の職員も、ときどき、接種を待つ保護者に対し、右掲示を読むよう注意を喚起していたこと、本件予防接種の実施に先立ち、銚子市内の各家庭に配布された同市の広報には、本件予防接種の実施要領を説明した記事が掲載されており、右記事中には、接種の内容、対象者、日時等のほか「注射できない人」という表題で「熱のある人または風邪にかかつている人、心臓病や腎臓病の人、胸腺リンパ体質者、けいれん性体質者」との記載があつたこと、当日、発熱等の事由を申出た約一〇名の者が、医師の指示により接種を受けなかつたことが認められるのであるが、右掲示及び広報においては、けいれん性体質等の医療の専門分野に属する特異な体質的素因についても、その具体的内容及びそれを外部的に徴表する諸事由の平易な説明のないまま、その名称だけが記載されており、それのみでは一般人にその趣旨を正確に理解させることは困難であるものがあると考えられるうえ、〈証拠省略〉の結果を総合すると、本件予防接種当日は、被接種者が約二〇〇名あるとの予想のもとに、午後一時から同三時までに接種を行なう予定が立てられていたところ、予想を超える三四六名が集まつたため、時間を同四時まで延長したような状態で、列をなして接種を待つ多数の幼児と保護者により、会場は相当混雑していたので、右掲示を注意して読む者は少なく、職員からの呼びかけもどの程度顧慮されていたか明らかでない状態であつたこと、また前記広報中の禁忌者の記載は、予防接種の実施を知らせる記事の中にあつて、特に注意を惹くような表示はなされていないうえ、会場に赴いた場合の担当医師への申述を促す趣旨の記載はなされておらず、右広報によつて本件予防接種の実施を知つた保護者である桜根光枝、冨田幸江及び原告両名は、いずれも右禁忌者の記載には気付かず、これに留意していなかつたことが認められるのであつて、以上の点を総合して考えると、本件予防接種会場に赴いた保護者の多くが、前記掲示又は広報の禁忌者の記載を読み、かつその具体的内容及び趣旨を十分理解していたものとは認め難い。

そうすると、本件予防接種において用いられた掲示、広報等による補助方法は、前記接種当時の状況に照らし、いずれも禁忌者につき積極的な申出を現実に期待し得る程度のものとみることはできず、これらによつて、医師による口頭の質問を補助するに足る機能を果たしていたものとは解されない。しかるに、安藤医師が禁忌症状の有無につき、概して、特段の問診も行なつていなかつたことは右に認定したとおりであるところ、安藤医師が、けいれん性体質の有無につき具体的かつ平易な質問(例えば、「これまでに、ひきつけ、けいれんの症状を起こしたことはないか。」等)をなしていれば、保護者の申述を通じ訴外進がけいれん性体質であることを知ることができ、同人に対する接種を中止し得たものと解することができる。(現に、〈証拠省略〉によれば、同人は、訴外進が過去に二回ひきつけを起こしたことを知つていたことが認められるので、右予見が可能であつたことは明らかである。)

してみれば、安藤医師には、問診義務を怠つた過失があるものといわざるを得ない。(なお、安藤医師において、訴外進がけいれん性体質であることを知つたとしても、なお本件予防接種の必要性と危険性を比較考量して慎重に判断したうえ、同人に対する接種を実施したであろうこと(実施規則第四条但書)についての主張立証はない。)

3  よつて、被告国は、国家賠償法第一条第一項により、訴外進の本件死亡事故による損害を賠償すべき責任がある。

四  被告千葉県の責任について

原告らは、千葉県の公務員である銚子保健所長が、本件予防接種の実施者である銚子市長に対し適切な指示をなすべき注意義務を怠つたことを前提にして、被告千葉県に損害賠償責任がある旨主張するが、具体的にどのような指示をなすべきであり、どのような注意義務を怠つたのかについての主張立証がないので、結局、被告千葉県に責任がある旨の原告の主張は採用しえない。

五  被告銚子市の責任について

被告銚子市が本件予防接種の費用を負担したことは、原告らと被告銚子市の間に争いがない。

してみれば、被告銚子市は、国家賠償法第三条第一項により、訴外進の本件死亡事故による損害を賠償すべき責任がある。

六  損害について

1  逸失利益及び葬儀費用

訴外進が、死亡当時一歳二か月の健康な男児であつたことは、すでに認定したとおりである。(前記認定の幼児期のけいれん性体質はこれを否定するものではない。)してみると、裁判所に顕著な厚生省第一二回生命表(昭和四四年)によると原告ら主張の一八歳から六三歳までの四五年間は就労可能とみられ、右年数のホフマン係数は、一五・七六八七であるところ、〈証拠省略〉によれば、昭和四五年度の全企業の男子平均賃金は年額金一〇二万六、九〇〇円であるから、生活費をその半額とみて、ホフマン式計算法により中間利息を控除して、右期間の逸失利益の現価を算定すると、金八〇九万六、〇〇〇円となる(一〇二万六、九〇〇×一五・七六八七×〇・五。一、〇〇〇円未満切捨て)。

従つて、原告両名は、前記身分関係から、右金額の二分の一に相当する金四〇四万八、〇〇〇円の損害賠償請求権をそれぞれ相続により承継取得したものと認められる。

訴外進の葬儀費用等については、弁論の全趣旨によれば、原告見山敏雄がこれを負担したものと認められるところ、その費用の内、金三〇万円を被告らに請求し得るものと認めるのが相当である。

ところで、被告らは、本件予防接種会場内には、禁忌者は申出るよう呼びかけた掲示がなされていたにも拘らず、訴外進がけいれん性体質であることを申出なかつた保護者(祖母)訴外重田とめには過失があり、右過失は損害賠償額の算定にあたつて斟酌さるべきである旨主張するが、右会場内は相当混雑しており、右掲示に注意が払われることが無理なく期待できる状態にあつたとはみられないことは先に認定したとおりであり、また「けいれん性体質」という言葉は一般人がその具体的意味内容を容易に理解し得る平易な言葉であると認めることはできず、過去にひきつけを起したことのある者が、本件予防接種の禁忌者にあたることが当時一般に容易に理解できたとも認められない以上、訴外重田とめの過失として斟酌すべきものとはいいきれず、被告らの主張は採用できない。

2  慰謝料

原告両名の各本人尋問の結果により訴外進の死亡による原告らの精神的苦痛の慰謝料としては、原告ら各自につき、それぞれ金二五〇万円と認めるのが相当である。

そこで、弔慰金が支払われた旨の被告らの抗弁について判断するに、訴外千葉県市町村総合事務組合から原告らに対し、被告ら主張の弔慰金合計金四七〇万円が支払われたこと、右支払は、被告銚子市が支払つたと同一の効果を生ずることは当事者間に争いがない。そうすると右金員は、原告ら各自につき各二分の一にあたる金二三五万円が、前記慰謝料より控除さるべきものと言わねばならない。

3  弁護士費用

本件弁護士費用については、弁論の全趣旨により原告ら各自につき、それぞれ金三五万円の範囲で被告らに負担させることを相当と認める。

七  以上の次第により、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求は、被告国及び被告銚子市に対し、原告見山敏雄が、各自損害金四八四万八、〇〇〇円、原告見山晴代が、各自損害金四五四万八、〇〇〇円及び右各金員のうちから現実に支払を終つていない弁護士費用各金三五万円を除いた金額に対する訴外進死亡の日である昭和四五年二月四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、被告国及び被告銚子市に対するその余の請求及び被告千葉県に対する請求は、いずれも失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条第一項本文を、仮執行宣言につき同法第一九六条を各適用し、なお、本件においては仮執行の免脱は相当でないと認め、これを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺卓哉 白石悦穂 倉吉敬)

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